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 ※ このページには残酷な表現があります

 8.君との未来を

 

 殺すのは三人。
若い男と、初老の男女。
まずは女から行こう。体力もないし、チャンスはいつでも転がっている。
…いや、待てよ。最初は若い男がいいかも知れない。肉体的に考えて、コイツが最も手を焼く相手なのは間違いないからな。おそらく純粋に力比べで考えると、圧倒的に僕が負けることは目に見えている事実。電車通勤の会社員と毎日スポーツに明け暮れる現役の大学生ではその差は歴然としているさ。
それならばまず、誰一人警戒する者のいないタイミングを狙うしかないだろう。
若い男を殺し、次に女。深夜酔っ払って帰宅する男は大した問題ではないだろうな。
女が金切り声をあげたり騒ぎ出すことのないよう、手をうたないといけないな………
まず間違いなく女は家にいるだろう。若い男が家にいなければ、女は二番目。複数が家にいても絶対に同時には襲わない。
老いた男はまあ、どうとでもできるだろうな。

 ガタン、と足元が揺れて、僕の計画は一時中断させられてしまった。
外せない残業のために、電車に揺れる僕の横にユウリの姿はなかった。一緒に帰れない旨のメールは送っておいたけど、ユウリは心細い思いをしたろうな。でも今夜、僕が目標を達成したらすぐにでも一緒に暮らせるから。そうしたら、誰も邪魔する者のいない素敵な毎日が待っているんだよ。
下車する直前、一瞬の間。口元をニヤニヤと歪ませて、実に幸せそうな男をそこにみつけた―――――

 

「お帰りなさーい」
チャイムを鳴らさずに玄関に入り靴を脱ぎそろえていると、パタパタと音を立てて『女』が駆け寄って来た。
「お兄ちゃん、今日は遅かったわね。残業だったの? お疲れ様ねえ」
さも当然のように両手を差し出し、僕の鞄と上着を剥ぎ取って行くこの『女』。叫んだりしないように気を失わせた方がいいだろうが、その方法が思いつかない。撲殺がいいだろうか? しかし勢い余って外してしまったら、三人全員を殺すチャンスは永久にやって来なくなるだろう。
無難なのは刺殺か。背後から頚動脈を一気に切り裂けば、声を発することは出来ないだろう。ただ、血が噴き出るのがな……
汚いけど、我慢するしかないのだろうか。
「ただいま。どうしても今日中に終わらせなきゃならない仕事があってね」
数時間以内に手にかけようとしている相手に気軽に応対する。馬鹿馬鹿しいが、仕方がない。そういえば、若い方の『男』は帰っているのだろうか。
念入りに手洗いとうがいを済ませ、台所で僕の夕飯を暖め直す『女』の背中に向かって問いかけた。
「ナオヤはもう帰ってるの?」
「もうご飯もお風呂も終わって自分の部屋にいるわよ。お兄ちゃんがナオヤに用事だなんて、珍しいわね」
二人そろっていたか……。………よし。


一軒家特有である急斜面の階段を見上げながら、僕は自分の左足が階段の一段目に乗ったことに気づいた。何か違和感があるが、今の僕にとっては瑣末なことだ。
一段一段踏みしめて、今から起こすアクションのシミュレーションを頭の中で繰り広げていた。
部屋にいる時のナオヤは大抵、彼女と電話かメールをしている。読書をしていてもパソコンをいじっていても、あいつは片時も携帯電話から手を離さないということをここしばらくの同居生活で把握している。

さあて、どうやって殺せばいいかな。
絞殺が無難かな。でも手足をバタバタさせて、物音を立てられるのも困るな。
枕を顔に押し当てて窒息なんてどうだろう。窒息するまで数分を要する。全力で逆らわれたらあっという間に跳ね除けられてしまうな。
意外と難しいものだなあ、スムーズな殺人って奴は。
思いつくのはやはり刺殺。まざまざとリアルな情景が思い描けるのが、どうしても刺殺だった。血なんか見たくもないのに。
背後に回って首筋に一閃の軌跡を描く。この方法が最もしっくりくるとは皮肉なことだな。
階段の最上段まで上りきり、まずは自室へ。つるしの安物とはいえ、スーツを汚すのは流石に困るからますは着替えをしなくてはならない。
パジャマ代わりにしているジャージの上下に着替えて隣室の物音に耳をすましてみたが、特に何かをしている様子はない。かすかに聞こえる笑い声から電話中であることが窺える。予想通りだな。
普段と同じように部屋を出て短い廊下を歩く。ひんやりとした暗い空間が僕を包み込み、心の中まで黒く染めていくような錯覚を覚えた。
ナオヤの部屋の前に立つと、手足の指先から血の気が引いていく感触が広がっていくのがわかる。
扉を開け、『男』との距離を測る。何か気をそらせて背後にまわり、すぐさま首筋を狙う。
窓の側には近づかない方が得策だな、誰かに見られてしまうわけにはいかないから。パソコンのモニターに向かっていてくれるとやりやすいだろう。
お薦めのサイトでも聞いてみれば、『男』は背中を向けてくるに違いない。これで行こう。
……うや、待てよ? 何か大事なことを忘れている気がする。
…そうだ。刺殺するなら刃物が要るじゃないか。僕は自分が思うよりも激しく緊張しているみたいだ。
深い吐息をひとつもらして踵を返し、台所に戻ろうとした僕の耳にナオヤの笑い声が届いた。
今日もまた彼女とのトークタイム。今のうちに心ゆくまで楽しんでおくといいさ。最期の電話を。

 
階下では『女』がテレビを見ながらアイロンがけをしていた。この『女』はいつ休むのだろうか。
僕の姿を認めると急いでアイロンのスイッチを切って立ち上がり台所へ向かおうとしたので、腕を遮るように突き出して引き止めた。
「自分でやるから。母さんは座っていなよ」
「あらそう? お茶が飲みたかったらすぐに…」
どうしても世話を焼かずにはいられないらしいが、それを無視して台所に目を走らせる。……包丁はあそこか。
暖めなおされた食事を取るふりで皿を並べながら居間の様子を見てみるが、気づかれずに包丁を持ち歩くのは難しいようだ。どうすればよいか。殺す順番を変えるべきか? いや、突然『男』が降りて来る可能性がある。
ダメで元々、路線変更が難しいなら自分から線路を引けばいいんだ。
「母さん、風呂に入ったら?」
テレビから目を離すことなく『女』が答える。
「お兄ちゃんが入った後にしようと思ってるのよ。今日も父さんは飲んで来るから入らないだろうし、母さんは最後でいいわ」
これくらいは想定内だ。僕はなおも食い下がる。
「先に入ってくれないかな。これから電話しなきゃいけなくて、長引きそうなんだよ。風呂に入れるかどうかもわからないから先に入ってて欲しいんだよ」
「そう、お仕事? 大変ねえ。じゃあ、アイロンが終わったら…」
うだうだと待っていられない。一度やると決めたら、すぐにでも完遂しないと落ち着かないじゃないか。
「僕がやっておくよ。母さんもたまにはゆっくり湯船に浸かっておいでよ」
僕を見つめる『女』の瞳が潤んでいるように見えるのは気のせいだろうか? 何か失言をしてしまっただろうか。
記憶の糸をたどるがわからない。落ち着け、落ち着け、落ち着くんだ。
「お兄ちゃんは親孝行ねえ。ありがとうね、先にいただくわね」
……親孝行。悔い改めるところなのだろうが、僕の心は微塵も動くことはない。『女』が僕の行いに感動しようが計画は必ず遂行する。
僕にとって何が大事なのか。天秤にかけるまでもない。僕の幸せの先にはユウリ、それ以外は何もない。
二人の輝かしい未来を脅かす者は除外する。ただ、それだけのことさ。
「お兄ちゃんは家事も出来るし仕事も一生懸命だし、何も心配いらないわね。後はお嫁さんをもらうだけかしら」
そうだよ。そのためにはお前たちが邪魔なんだ。ユウリとの未来の邪魔なんだよ。
「孫の顔もはやく見たいわ。お嫁さん孫ちゃんとお買い物にいくのが夢なのよ」
その夢は残念ながら叶わないよ。お前が嫁いびりをしない保障があるのか?
「お兄ちゃん、今いい人いるの?」
「いるよ。結婚もするつもりだよ」
ユウリ。氷の膜で覆われた僕の胸の中を、彼女の笑顔がもたらす光が暖かく照らしてくれる。僕には君だけなんだ。君だけがいれば、後は何も誰も要らないよ。
「母さん、そろそろお風呂に行ったら?」
「あ、そうね! じゃあお兄ちゃん、アイロンありがとうね」

『女』があわただしく部屋を出て行った。こんな日々のやりとりがこれで最期になるのかと考えても、これといった感情が浮かんでこない。産み育ててもらった恩義は少なからず感じてはいるが、僕はどこか壊れているのかもしれないな。
僕はひっそりと心の中で語りかける。


――さようなら、母さん。今までありがとう。ナオヤを殺ったらすぐに貴女の番だからね。


包丁を手に取り、重さを確かめてみる。
浴室からは水の流れる音がしている。行動を起こす合図だ。
駆け上がりたくなる衝動を堪えて二階へ上がる。目標の部屋の前だ。話し声は聞こえない。ノックをする。二回。
胸いっぱいに息を吸い込み、声が上ずったりしないように普段どおりの僕を演じる。
「ナオヤ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど今いいか?」

扉が開く。黒の廊下に白い光。
そこに今から赤を塗ろう。
禍々しい、汚らわしい赤を。

「何?」
「会社の有志で旅行に行くことになってさ、ちょっとネットでいいところがないか調べてもらえないか?」
「かまわんよ」
『男』がパソコンラックに向かい検索画面を開いている。
「温泉でいいんでしょ?」
「そうだな。ここから車で行ける距離で頼むよ」
「はいよ」
カタカタと検索文字を入力している。『男』はモニター画面から目を離さない。やるなら今だ。
「ナオヤ、そのままで聞いて欲しいんだけどさ」
「んー?」
後ろ手に隠し持っていた包丁の柄を握り締める。
「彼女とはうまくやってるのか?」
一歩近づく。
「まあね、ラブラブだね。さっきも電話で話してたよ」
「そうか。卒業後は結婚するのか?」
また一歩。
「できればいいとは思ってるけどねー、まずは就職先見つけなきゃな」
「そうか。今大変だもんなあ。でもやりたいことがあるから頑張らないとな」
一歩。
「あのさ、ナオヤ」
すぐ目の前に『男』の背中。

「ごめんな」

 横殴りに思い切り首筋に叩き付けた包丁の刃を、力いっぱい手前に引っ張り後へ飛び退いた。返り血なんか浴びたくはない。
『男』の少し長めの髪がパラパラと落ちていく。曝け出された浅黒い首に、細く赤い線が浮かび上がったと思った。         

――――――瞬間

 鮮血が部屋の壁や天井を汚す。消防車の放水を連想させる激しさで、『男』の首から真っ赤な噴水が真横に飛び散っている。
古いからくり人形のようなごわついた動きで『男』が僕を振り返った。濁り澱んだ目は定まらず、何も捕えていないようだった。
首に手を当てて流れ出る血を押さえようとしているのだろうが、そんなことで止まるわけもない。
口がパクパクと動いたようだが、自らの喉からあふれ出る血の泡で声も出せない。
そうして、ゆっくりと、『男』は床に崩れ落ちた。
長い間の痙攣。
しっかりと見届けなければいけない。ちゃんと死んだかどうかを。
しばらく痙攣が続いていたが、少しずつおさまりついには動かなくなった。
血の海に横たわる『それ』の手首を持ち上げ脈を確かめるが、何も反応がなかった。

 

 まずは、一人片付いた。
あと二人。

 悲しくはなかった。
後悔もなかった。
ユウリとの未来を自分の手で切り拓く――まさに「切り」拓くわけだが――その感動に打ち震えていた。


 

 
 

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