恐る恐るオフィスの扉を開いてみるとそこには予想通り、カナが満面にエミを浮かべ、仁王立ちで待っていた。
「お・は・よ・う・ございます! 珍しいですね遠藤さんが遅刻とは!」
ここは謝り倒すしかないだろう。笑顔で怒られるのは非常に怖ろしい。
素直に頭を下げて謝罪の言葉を述べようとした時、頭上からころころと笑う声がした。
「遠藤さん、暖房がついていたから、もう来てたことは知ってましたよ」
僕はカナにからかわれたらしい。
実に楽しそうに笑うカナにつられて、僕も笑ってしまった。……と、カナの笑顔が瞬時に般若の顔に変化した。
暖めておいたはずのこの部屋の温度が一段下がったかのような気配。冷気の発生源が、僕の背後に視線を向けていた。
「………瀬川さん。随分余裕の出勤ですねぇ、今日も」
これは本気だ。本気の般若だ。
外まで響く瀬川への怒号をBGMにして、僕は作業を始めることにした。いつも通りに。
――――昼の休憩。
瀬川とカナは、いつも外へ食事に行く。
僕はオフィスに一人残り、自分の手作りかコンビニで買った弁当を食べている。電話番を買って出たわけだ。
外食をすると出費が激しいので、僕は毎日快く二人を送り出していた。
ユウリと結婚したら、毎日ユウリの手作り弁当にありつけるんだな。早くそんな日が来るように、金を貯めなくては。
買っておいたパンを口に放り込んで、僕は日課のネットニュース閲覧のためにパソコンの電源を入れた。
海外に芸能、インターネットで見るニュースはその真偽はともかく情報提供の速度はダントツなので、僕はこの日課を欠かさないようにしている。
とあるニュースが、僕の目に止まった。
『本日午前5時頃、○○県××市のAさん宅で無職Bさん(27)が、姑のC容疑者(58)に階段から突き落とされ重傷、病院に運ばれましたが依然意識不明の状態が続いているそうです…』
ありふれた、どこにでも転がっている事件。
日常のページに紛れ込んでいる、そんな一片の記事が僕の心を捕えた。
……姑が嫁を殺す。
この事件でまだ嫁に当たる人物は亡くなっていないが、姑には確実に殺意があったということだろう。
もしも、このままユウリが僕の元へ嫁いで来たとして、僕は母親を止めることはできるのか?
僕の仕事中は?
仲良くなるかもしれない、ならないかもしれない。僕は自分の母親の顔を思い浮かべた。
止まらない口。話を聞かない耳。いつでもマイペースな、僕の母親。
もしユウリと仲がよくならなかったら?彼女を傷つけるようなことをしたら?
同居しなくても、年ごとの行事や冠婚葬祭で嫌でも顔を付き合わせることになるだろう。
その全ての場所で、僕は完璧に彼女を守りきれるだろうか…?
ニュースのページを切り替えた。
中学生の少女を複数の大学生が暴行したという事件。
……ナオヤ。
彼女がいるからといって、僕のユウリに手を出さないという保障はあるか?
ナオヤの友人が偶然出くわしたら?
………ダメだ。僕はきっと、ユウリのことを守りきれない。
彼女を取り巻くような問題は起きないかもしれない。でも、起きるかもしれない。
彼女を傷つける可能性はひとつ残らずつぶしていかなければ。
手っ取り早くカタをつけるにはどうすればよいか。
…………殺そうか。
血を分けた肉親だろうが親友だろうが、今の僕にならどんな相手だって手にかけることができるんだよ。
ユウリ、君と僕の幸せな未来のために、僕は僕の家族を殺すよ。
きっと躊躇なくできることだろう。
ユウリ、君のためになら。