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 5.君の涙

 

 どうすればいい?
僕の頭の中は真っ白になってしまった。
まさか僕がパニックになってしまうなんて。
目の前で、最愛の人が涙を流しているというのに、何て声をかければいい? わからない、
わからない。
どうすれば? 僕はユウリに何をしてあげればいいんだ?
口を開いてみても、喉でつっかかって言葉が出て来ない。
格好よくユウリの頭を撫でてあげたいのに、怖くて触れることもできない。
僕は、ただずっと、ユウリの側で立ちすくむことしか、そんなことしかできなかった。
どれくらいの時間が経ってしまったのだろう。
ユウリは少しずつ落ち着きを取り戻しているようで、時折しゃくりあげる程度になっていた。
日はすっかり落ちてしまって、夕闇がゆるりと二人を包んでいた。
ひとつずつ街灯が灯っていく。

 「……ごめんね」
ユウリが小さくつぶやいた。
「…………何が?」
唾を飲み込んだ。
こんな時に気の利いたことのひとつも言えないなんて。
ユウリは顔を上げて、細く笑った。
「びっくりさせちゃったよね。ごめんね、気にしないでね」
ユウリがこのまま消えてしまいそうな気がした。
今慰めてあげなければ、僕と彼女の間に距離が出来てしまう。
それだけは避けなければならない。
「それじゃあ、またね」
ユウリが僕の横を足早にすり抜ける。このままではいけない!
「待って!」
思わず彼女の手をつかんでしまった。氷のように冷たかった。
どうしよう… 引き止めたはいいが、後のことはまるで考えていなかった。
「あの… 永野、えっと……」
「………なあに?」
目が合った。
涙で潤んだユウリの瞳が、街灯の光を反射させて美しく輝いていた。とても綺麗な瞳だな。
「永野、僕でよければ話を聞くくらいはできるよ。……何かあったの?」
……言ってしまった。
不愉快に思われてしまっただろうか。
ユウリはうなだれてしまった。
今は単なる同級生どうしの関係なのに、図々しいことを言ってしまった。
嫌われてしまったらどうしよう…………
彼女は、ぱっとこちらを向いた。微笑んでいた。いつものユウリの笑顔だった。
「遠ちゃんは、相変わらず優しいね」
良かった……! 嫌われてなかった!
僕は深く安堵した。寿命が縮む思いだ。
「相変わらずって。僕、何かしたことあったかな?」
普段どおりの会話が出来そうだ。緊張がほぐれてきた。よかった………!
ユウリの笑顔は、僕の心を癒してくれる。
なんて愛しいんだろう。
この笑顔を独り占めしたい。他の誰にも渡したくない、いや。絶対に誰にも渡さない。僕だけのものだ。

 強く思う僕を尻目に、ユウリが懐かしそうな目をして話し出した。
「遠ちゃんはね、さりげなく優しいんだよね。困ってる時とか悩んでる時に、一番欲しい言葉をかけてくれたの」
「それは、中学の時の話?」
正直、あまりよく思い出せない。
当時はユウリに対して特別な感情を持っていなかったので、男女関係なく誰に対しても、同じように振舞っていたはずだ。
ユウリは昔話を続けた。
「そうだよ。……この間の同窓会の時にさ、遠ちゃんがモテてたって話をしたでしょ?」
「うん、してたね」
ユウリが照れくさそうに上目遣いで僕を見た。
心臓が。僕の鼓動が激しくなり始めた。
「あれ、ね。私のことなんだよ。私、中学の時に遠ちゃんのこと好きだったんだから」
「!!!!」
―――今、何と言った?
夢じゃないのか? ユウリが、昔、僕を好きだった………!
「それは…、永野、本当に?」
「今だから言えるんだよ。でも、告白する勇気はなかったんだよね。
バレンタインだって、チョコレート用意してたのに。結局渡せなかった」
今が明るい時間帯なら、きっとユウリは僕の顔が真っ赤なことに気づいてしまうだろう。
耳や首まで熱が広がっていく。息がつまりそうだ。
「それとね、本当に恥ずかしいんだけど、夏休みの自由研究でね」
「うん?」
顔が、熱い。
「書道を提出したの。……『永遠』って、書いたの」
一瞬どういうことか考えたが、僕はすぐに気がついた。
『永遠』。この文字は………!
「永野の『永』と、遠藤の『遠』。ほんと、馬鹿みたい。」
ユウリを抱きしめたい。強く強く、抱きしめたい。
僕の中であふれ出すユウリへの愛情を、どうしても止めることが出来ない。ユウリ、大好きだよ。
「告白、しておけばよかったかな」
……もう、僕は死んでしまってもいいくらい幸せだ。この世界で僕以上の幸せ者は、きっと存在しない。
だが、僕の幸せは長く続かなかった。
ユウリが、困ったような表情で、言った。

 

「そうしたら、彼氏よりも優しくしてもらえたかもしれないのに」

 僕は馬鹿だ。
舞い上がった。調子に乗りすぎた。
ユウリは可愛い。こんなに可愛い彼女に彼氏がいる、そんな単純なことを深く考えもしなかった。
どん底に叩きつけられるとは、まさにこのことだ。
僕は懸命に笑顔を作る。
こわばってしまった顔を、必死で作り変える。
「彼氏と、ケンカでも、したの?」
それだけのセリフを言うのが精一杯だった。
「最近ね、あんまり会えなくて。デートに誘っても、断られちゃって」
ユウリが、表情を曇らせた。
こんな話は聞きたくなかった。
彼女の彼氏は、酷い男だ。
ユウリと会わなくても平気だ何て。彼女の誘いを断るなんて、僕には考えられない。
ユウリは辛そうに続ける。
「それでね、浮気を疑ったの。遠ちゃん、ひいちゃうかも知れないんだけどね……」
「……なに?」
一呼吸おいて、まっすぐ僕の目を見た。
「彼の携帯電話、勝手に見たの」
「…うん」
僕の知らないユウリ。
恋に悩む、大人の女性のユウリ。嫉妬に苦しむユウリ。
知らない。こんなユウリは、知らない。
彼女を遠くに感じる。
今まで見たことのないユウリに、僕は戸惑っていた。
「そしたら、私とのメール以外は全部消去してあった。メールと通話の着信送信履歴、何も残ってなかったの」
「……それは、ユウリとだけ連絡取ってるからじゃないの?」
痛い。僕の胸が、突き刺さるように痛む。
「私といる時も、頻繁に連絡来てたもん。電話もメールも、すごくたくさん来てたんだから」
ユウリの口元が歪んだ。
ダメだ、泣かせてしまう!
僕はユウリの笑顔が見たいんだ。泣き顔は見たくないんだ!
「思い切って、問い詰めたの。我慢できなかった。……でも、怒らせちゃった」
涙は流さなかった。でも僕には、ユウリが泣いていると感じた。
ユウリの心の悲鳴を、僕だけが聞きつけた。
「携帯電話を勝手に見たって言ったら、ものすごく怒られちゃった。
今までそんなことなかったから、私も言い返しちゃった。大人げないよね」
ユウリにもこんな一面があったんだ。
そうだよな、笑いもすれば、泣きも怒りもする。
ユウリの彼氏とかいう男は、彼女には似合わない。
強く思った。先ほどまでの動揺は吹き飛んだ。
僕なら、彼女の全てを丸ごと受け止めることができる。絶対。
「それで、今日は改めて話をしようと思って会いに行ったんだけど、
……追い返されちゃった………。今は、まだ会いたく……ないって」
なんて奴だ。
なんて酷い男なんだ。
僕のユウリをこんなにも悲しませるなんて。
……殺してやりたい。
苦しめて苦しめて、ゆっくり嬲り殺してやりたい。
ぼくはこの殺意を無理矢理押し隠して、穏やかに、柔らかくユウリに語りかけた。
「それは…、きっと、タイミングがよくなかったのかも知れないね。
感情が高ぶり過ぎてたら、コントロールするのは難しいでしょう?」
僕は言葉をつなげる。
「確かに、彼氏がきちんと答えなかったんだから、永野のことを一方的に攻めるのはおかしいと思うよ。
…お互いに、少しだけ言葉が足りなかったのかも知れないよ。
もしかしたら、彼氏も永野と同じように不安だったのかもね。
永野が仲直りをしたいなら、もう一度、今度は落ち着いて話し合ってみてはどうかな」
  ――心が折れてしまいそうだった。
別れてしまえばいいのに。
早く僕のものになってしまえばいいのに。
僕の心に気づかずに、ユウリが微笑む。
「ありがとう、遠ちゃん。遠ちゃんに聞いてもらってよかった」
幸せそうに笑う。
その幸せは、誰に向けられているの?
「そうだ、遠ちゃんのケータイ番号教えて?」
「…いいよ、ちょっと待ってね」
すっかりいつものユウリに戻っていた。
だけど、彼女の言葉が僕には届かなかった。
表面では相槌を打ちながら、僕の心は離れた場所にあった。

 彼女を助け出さなければならない。
彼女を幸せに出来るのは、この僕だけなんだ。
僕は考えた。どうすればいい?
彼女を手に入れなければ。出来るだけ速く。

  ユウリは笑っていた。
楽しそうに笑っていた。
その笑顔を閉じ込めることに、僕は決めた。

 

 

 
 

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