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 2.君を想う夜

 

 中学の頃は意識することもなく。恋愛よりも友達と遊ぶことに夢中だった。
彼女に――ユウリに惹かれ始めたのは、大人になってからの、春。
数週間前に、気まぐれに参加した同窓会。その会場のありふれた居酒屋の喧騒の中で優しく微笑む彼女だけが明るく輝いて見えた。間違いなく僕は、彼女のその微笑に心を奪われたのだった。

 ポストに届いた同窓会案内のハガキ。ズボラな幹事は、卒業以来一度も同窓会を開いたことがなかった。
珍しいことがあるものだと思い目を通すと、幹事の名前が違っていた。

『出欠のご連絡はこちらまで 0×0−△△○×−■◇◎○  永野ユウリ』――――

 大学は離れた場所を選んだので、地元をゆっくり歩くのは随分久し振りだった。
かつては賑やかだった商店街は寂れ、ほとんどが店をたたんでしまってゴーストタウンと呼ばれる日もそう遠くないだろう外観になってしまっていた。
潰れてしまった店の跡には進学塾や、お年寄り向けの憩いの場が出来ているようだった。
ひっそりと消え入りそうな街の一角の枯れ果てた姿を見て、僕は不思議と感慨深くなることはない。
何も……何も思わなかった。

同窓会の会場である大衆居酒屋には、既にたくさんの同級生たちが集まっていた。それぞれの話し声が断片的に耳に入ってくる。気恥ずかしいとか気後れしたとか、そんな理由があったわけではないが、僕はその騒音には混じらずに遠巻きに聞く事だけを楽しんだ。
昔からずっとそうだった。僕は人間というものに対して無意識に ――それが友人でも家族でも―― いつも線を引いて、距離を置くようにしていた。


「元気だったか?」
あれは委員長の福山。骨の浮いた背骨に厚底の眼鏡が変わっていない。
「メールくらいしろよ」
サッカー部の真上。かつては低身長で整った顔をして、女子のようだとからかわれていた。
今では無精ヒゲに筋肉質な腕をしていて面影しか残っていない。
「今何の仕事してるの?」
店中に響き渡る甲高い声。神経質そうに相手を値踏みしているのは、確か桑田さん。
「結婚が決まったんだ」
嬉しそうに照れながら、少し膨れたお腹をなでているのは宝田さん。
誰からもミカと下の名で呼ばれていた、活発な子だった。
愛想がよくて、目が合った僕に手を振ってくれた。
「あいつ来なかったの?」
落ち着かない様子でそわそわしているのは… 千葉か。
好きな人が同じクラスにいると聞いたことがあるが、今でも好きなのかな。
「海外旅行行ってきたの」
ブランドはよくわからないが、高そうな服で身を包んでいるのは森さん。
せわしなく動かす手の先では大きな宝石のついた指輪が光っていた。
「どこも不況で大変だよな」
苦く笑う粉谷は壁にもたれ、既に赤い顔をしている。
「おい、から揚げこんなに注文したの誰だよ!」
怒鳴り声をあげているのは藤田。
意外と覚えているものだな。あの頃が懐かしい。
でも、それ以上でも以下でもない。 


あちらこちらで楽しく話しをしている光景が見える中を練り歩く僕にも、時折声をかけてくれる旧友たち。懐かしい面々に対して僕も軽く言葉を返して少しばかりの世間話というやりとりを繰り返した。何人と話をしたのかもわからない程だったが、こんな空気もたまには悪くない。
記憶があやふやな相手には愛想笑い、仲の良かった相手とは砕けた会話。
久々に友人たちと再会して予想以上にテンションが上がってしまったので、興奮を鎮めるのにとても苦労したのを覚えている。そんな時だった。
壁にもたれて一人休んでいた僕の横に、誰かが腰を落ち着けた。
「遠ちゃんだよね? 変わらないねえ」
ほんのりと桃色に頬を染めたユウリがそこにいた。
クラスではそんなに頻繁に話していたわけではないが、お互い気楽に接することの出来る間柄だった。
まだ1次会だというのに、もう酔いが回り始めてしまったらしい。
「そう? 女の子はみんなキレイになったね」
「私も?」
ドキッとした。そうだ。ユウリはこういうことを自然に聞いてくるんだ。
「永野もキレイになったよ」
実際、ユウリは美しい女性に成長していた。
当時の面影は残していたが、薄く肌にのせた化粧にゆるく流れる少し長い髪。大きな奥二重の瞳に、僕は見とれてしまった。僕の記憶の中のユウリは、こんなに心惹かれる女性ではなかったのだ。
「お世辞上手くなったねえ。遠ちゃん、あちこちでそんなこと言ってたら彼女に振られちゃうよ?」
屈託なく笑うユウリの手が僕の肩に触れた。そこがじわりと熱く感じたのは気のせいなんかじゃなかった。
「永野は? 彼氏いるの?」
自然に言えただろうか。何故だか、耳が熱い。
「いるように見える?」
「どうだろう?わからないな」
頭の中がぐるぐるしている。でもユウリは、あっさりと話題を変えてしまった。
「あははっ。そういえば、ミカに会った?」
「会った会った。妊娠してるんだってねえ。」
「結婚式は、出産後なんだって!自分じゃまだ考えられないよ」
「出産が?」
「結婚!まだまだ結婚なんて考えらんないよ。憧れるけどね」
「もういい年だもんね」
「あ〜! 今私の中の『いい人ランク』からグーっと落ちたよ遠ちゃん!」
「何それ? 僕、永野の『いい人ランク』に入ってたの?」
「TOP3だよー。あの頃女子の間ですっごい流行ってて… そうだ、知ってた? 遠ちゃんって密かにモテてたんだよ?」
「へえ、そうなんだ」
確かに、バレンタインにチョコレートをいくつかもらっていた。
義理チョコだと思っていたが、あの中に本命チョコが含まれていたということか。
今となってはどうしようもないが。
「うわ、反応クールすぎ。好きな子いなかったの?」
「特にいなかったよ、そういえば先生と付き合ってた生徒がいたの、聞いたことある?」
「えー! 知らない知らない! なにそれ〜」
「実はね……」

他愛もない話に心が弾み、昔話に盛り上がる。ユウリは笑うたびにポンポンと僕の肩を叩いた。
彼女は僕に好意を持ってるのかな。…いや、自惚れてはいけないな。これはきっと彼女の癖なんだろう。
でも… 少なくとも、嫌われてはいないはずだ。胸の奥がモヤモヤし始めた。
僕が同じように彼女に触れてしまったら、彼女は気を悪くしてしまうだろうか。

「それじゃ、ちょっと席外すね。遠ちゃん、誰かいい人がいたら紹介してね!」
ユウリが、酒に潤んだ瞳で僕に、無邪気に笑いかける。
少し離れた場所の、女子の輪に溶け込んでいくユウリを見ていた。
不思議なことに、キレイに着飾った周りの子たちが全て色あせて、彼女だけに色がついているような、そんな錯覚が見えた。
僕の視線に気づいたユウリが、軽く微笑んで小さく手を振った。
……ダメだ。期待しちゃダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ。
動悸が激しくなる。どうすればいいのかわからない。僕は間違いなく彼女に恋をしてしまった。
彼女も僕のこと好きかな。

 


数年前に家を出た時と変わらない部屋が僕を出迎えた。
小学生の時に買ってもらった机、部屋を分けたいと弟がごねて、いつまでも2段ベッドでは小さいだろうとそれぞれに与えられたベッド。きちんと整頓された本棚。
母は僕のいない間も掃除を欠かさなかったようだ。
盆正月くらいしか帰らず、就職してからはほとんど顔も見せなかった自分を少し恥じた。電話のひとつでも入れておいた方がよかっただろうか。しかし、これといって話すことも見つからなかっただろうな。
ベッドに仰向けになり、昔より少し近くに感じる天井を這う模様に沿って視線をすべらせる。
頭をよぎるのは彼女のことばかりだ。
今頃夕食だろうか、入浴中だろうか。テレビでも見てるのか。家族に僕のことを話しているだろうか。
今日、僕と駅で会ったこと、ユウリはどう思ったんだろうか。
机に乗せた雑誌を手に取り、パラパラとめくった。
中央の2週間分のテレビ欄をはさむように掲載されている、芸能人のコラムに読者からの投稿コーナー。
面白おかしく書かれているそれらの記事が、まるで頭に入らない。これを読んでおけば、次にユウリに会った時の話題のひとつになるのはわかっているのに、彼女自身のことばかりを考えてしまって、いくら目で文章を追いかけても僕の脳にまで意味が伝わってこないのだ。
この雑誌で僕は彼女とつながっているんだと思うと、胸の奥が熱くなって、手足をバタつかせずにはいられないほどにむず痒さが全身を駆け巡っていく。同じ物を持つことがこんなに嬉しいなんて知らなかった。
ユウリは、どうして僕にこれを紹介したんだろう。気に入っている雑誌だから?
それとも、もしかしたら…… 僕と、同じ物を持ちたかった?
自分勝手な考えだが、一人で心の中で妄想するくらい許されるだろう。少女漫画のような展開を望む自分が嫌ではなかった。
寝そべっていた、使い古したベッドから身体を起こし、窓に近づく。カーテンをめくり、外を眺めた。
どうやら満月が近いらしい。完全な丸には少し足りないくらいの月が、空から地上を見下ろしていた。
彼女も今頃、この月を見ているといいな。何を見ても何をしていても、自然と彼女に結び付けてしまう。
このままでは僕は、恋愛に夢中な女の子のようにオマジナイでもしてしまいそうだな。
雲がゆっくりと月に覆いかぶさっていく。ユウリはいい人を紹介してくれと言った。彼氏はいないということだろう。     このまま仲良くなっていけば、僕の願う未来はそう遠くないはずだ。
カーテンをゆっくり閉じて、窓から離れた時だった。

「ただいまー!! メシメシ!」
階下からにぎやかな声が聞こえる。弟のナオヤだ。大学生にもなってガキっぽい奴だな。
5分もしないうちに、階段を勢いよく駆け上る音がした。
『もしもし、お待たせ! うん、今大丈夫だよ。どうした?』
ナオヤが自室の扉を閉めると同時に声が途切れた。どうやら彼女から電話が来たらしい。
いつも僕の後を追いかけて来た小さかった弟に彼女がいたのか。当たり前のことだが、いつのまにかナオヤもいぱしの大人に成長していたんだな。僕の知らない間に弟の時が経ったのは、なんとなく寂しい。
彼女といえば僕はユウリのケータイ番号もメールアドレスも知らないことに思い当たった。
チャンスは2回もあったのに、聞いておけばよかったと激しく後悔した。明日、また駅か電車で会えたら必ず聞こう。
ユウリとメールを交わす毎日を想像した。
顔文字は苦手だけど、少しくらいなら絵文字をつけないと冷たく見られてしまうかもしれないな。
最初は馴れ馴れしくなりすぎないよう、でも距離を感じさせない文面でいかないとな。
布団を抱きしめ更に考える。失敗は許されない。どうしても、入手するために。
そう、僕がどうしても欲しいモノ。それは、永野ユウリ。彼女だ。

 彼女との距離を縮めるために実家に帰って来た。今日のような偶然の確率を上げるために。
それに、いずれ彼女と結婚するならやはり金だって必要になる。
貯金を増やすためにも、彼女との物理的な距離を狭める為にも、実家に帰ることが必要だった。
可能性はあるはずなんだ。今日もあの日も彼女は僕を見て微笑んだ。だから僕は、この疑念を確信に変えたい。

―――カノジョモボクヲ好キナノカモシレナイ―――――

今夜も彼女は僕の夢に出て来るだろうか。少しでも僕のことを考えていたなら、きっと夢で会えるだろう。
彼女がまた僕に微笑んでくれるといいな。
同窓会の日の夜、僕がここに帰ることを決心させた、あの日の夢と同じように。

 

 

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