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 11.君とトモダチ

 

  
約束の時間まであと30分きっかり。朝から興奮し切り通しで、この喫茶店に到着したのは指定された時間の1時間前だった。話をするなら同じ駅、同じ電車なのだから待ち合わせなんかする必要ないのに。ユウリはデートをすることにこだわりがあるのかな。可愛いな。
注文を取りに来たウエイトレスにブレンドコーヒーとユウリのためのミルクティーを頼みかけたが、今からだとユウリが来る頃には冷め切っていることに気づいて取りやめた。自分の分だけをお願いして窓の外を眺めるが、ユウリはまだ見えない。駅のすぐ目の前に立地しているこの店からは、駅から出てくる人々を一望できるのだ。ユウリからの連絡があった時にすぐ返事が出来るように、僕の手にはケータイが握り締められている。今日はまだ一度も鳴っていない。
…ユウリからの話って何かな。大切な話があるとメールに書いてあったから、多分僕とユウリ二人のこれからに関することだろう。家のことかな? それとも元彼がしつこくまとわりついてきて困っているなんて相談だろうか。所謂ストーカーという奴だろう。好きな人の後を付け回したり盗聴したりする変態のことだったか。僕はそんなことをしたいとかけらも思ったことはない。尾行や盗聴なんかしたって相手が嫌がるだけじゃないか。それに、彼女を信頼していないことにもつながる。そんなのは本当の恋人同士じゃない。僕はユウリを信じているから、ストーカーなんてものではないんだ、決して。でも、ユウリは優しいから勘違いする男が周囲にいるかもしれない。僕がユウリを守ってあげないといけない。僕のユウリに手を出す男は許さない。一人残らず殺してやる。

二杯目のコーヒーを飲み干して三杯目に迷っていた時、視界に待ち焦がれた恋人が入ってきた。ユウリだ。
僕は逸る気持ちを抑えるように行儀よく立ち上がり、右手を少しだけ揚げた。僕に気づいたユウリが軽く会釈を返す。どうしたんだろう。えらく他人行儀な振る舞いをして、いつものユウリらしくない。僕はユウリの笑顔が好きなんだから、ユウリにはいつだって微笑んでいて欲しいのに。
ユウリの後から見覚えのある顔がこちらを覗いていた。好奇心いっぱいに遠慮なく僕を見つめているあれは、僕たちの同級生の宝田ミカだ。少し膨らんだお腹を大事そうにさすっている。そういえば妊婦なんだったな。同窓会で高らかに結婚の話をする様を思い出した。
店の出入口から動かないユウリの横をすり抜けて、僕はミカに手を差し出した。
「久し振り、宝田。妊婦なのにそんなに重そうな荷物持って歩いて来たの?」
一瞬面食らったような顔をした宝田が、差し出された僕の手の意味に気づいて恐る恐る荷物を手渡してきた。
「う、うん。ありがと、えんちゃん」
ユウリは何も言わない。まさかこんなことくらいでヤキモチを妬いたりはしないだろう。だって、毎日メールで「愛してるよ」と送っているのだから。
宝田は小声でユウリに何かを話しかけている。耳をすませて集中して聞いてみると、
「なによ、やっぱり優しい。えんちゃん全然変わってないじゃん」
と囁く声を捕えられた。僕の噂?
「まあまあ、とりあえず話は座って落ち着いてからでもいいじゃない」
二人を促して席に案内する。僕のコーヒーカップは片付けられていた。ユウリはてっきり僕の横に座るものだとばかり思って奥に詰めたのだが、彼女はミカの横に腰を落ち着けてしまった。
しばしの沈黙が訪れる。今がチャンスと見たらしいウエイトレスが注文を取りにやって来た。
ミルクティーを頼むとばかり思っていたユウリは迷った挙句オレンジジュースを頼んでいた。ミカは暖かいウーロン茶。そうか、カフェインやカロリーを気にしなければならないだったな。ユウリが妊娠した時には注意しておかなければ。コーヒーを立て続けに飲み過ぎると具合が悪くなることを学習済みだったので、僕はココアを注文することにした。
ウエイトレスが去った後も、また沈黙。話を急かすのは悪い気がしたので、僕は中座してトイレに行かせてもらうことにした。僕の背後でミカのよく通る声が聞こえてくる。
「言えないならアタシから言おうか?」
「ううん、自分で言うよ。こういうことは。」
対するユウリの消え入りそうな微かな囁き。大切な話。ユウリから僕への、大切な。…僕たちはまだ清い関係だから妊娠したなんて話ではない。では何だ。だいたい、友人を連れてくるなんて予想していなかった。久し振りに二人で会えると思っていたのに。同棲の話やこれからの未来の話をするのかと…… 未来?
そこで閃いた。
わかったぞ。結婚式の介添人だ。照れくさくて言い出せなかったんだな。少しせっかちだけど、そんなところも可愛い。席に戻ったら僕から言ってみようか。ユウリはどんな顔するだろう。
水滴をきちんとふき取りハンカチをポケットにしまい込んで、鏡を確認すると少しだけ髪が乱れているのを発見した。くしは持ち合わせていなかったので手で強めになでおろし、他におかしなところがないかを見直してみる。よし、大丈夫。
姿勢を正して右足から進みだし、ユウリたちの待つテーブルについた。
ユウリが身体をこわばらせたように見える。そんなに緊張することないのに。やっぱり僕から助け舟を出してあげよう。
「ユウリ、大切な話って?」
「! ………えっと……」
目を伏せてしまった。ユウリ、心配しなくたって大丈夫だよ。だから笑って。
テーブルの下でミカがユウリの手に自分のそれを重ねたのが見えた。
「ユウリ、やっぱりアタシから話してあげるって」
大げさだな二人とも。そんなに大仰に考えなくたって、祝福してくれる気持ちに反対したりしないのに。
痺れを切らせて口を開きかけた僕をミカが手で制した。先ほどとは打って変わった厳しい表情。
「…あのね、えんちゃん。回りくどいいい方ってアタシ苦手だから単刀直入に聞くね。……最近ユウリにつきまとってるって本当?」
「…………………え?」
僕の思考が凍結してしまった。何……? 誰が、何を………?
「えんちゃんさ、ユウリに彼氏がいるって知ってるんだよね? だからさ、彼氏に誤解されるようなことしないで欲しいんだよね」
まくしたてるミカから押し黙っているユウリに目線を移す。僕と目が合ったユウリはサッとうつむいて唇を噛んだ。
「何の話をされるのかと思ったら…… ユウリが宝田にそう言ったの?」
ミカがユウリにアイコンタクトを取る様子を忌々しげに見ながら、僕は突然突きつけられたわけのわからない話を頭の中で整理することに努めた。
ユウリの彼氏? それは僕じゃないか。
あの日、夕暮れを背に涙を流したユウリ。そして、告白。あれは嘘じゃない。彼氏よりも優しくしてくれる僕に想いを伝えておけばよかったと彼女は言った。僕にとってその気持ちは決して手遅れではなく、両手を広げて歓迎するべきものなのだ。それに、その彼氏とやらは謝罪に訪れたユウリを突き放したはずだ。ヨリを戻すなんて考えられない非道な所業。…そうか、ユウリはそいつの影に怯えているんだ。きっとヨリを戻せとユウリに迫っているに違いない。そいつが僕に危害を加えやしないかと、ユウリは僕の身を案じてこんな出鱈目をミカに吹きこんでしまったんだ。僕が、他でもない僕がユウリを安心させてあげなくては。
「ユウリ、宝田を困らせてはいけないよ。心配をかけたらお腹の子によくないじゃない。 宝田、ユウリが何を相談したのかわからないけど、きっとユウリはマリッジブルーになっているんだと思う。昨日だって僕はユウリの親御さんに挨拶したけど、彼氏がどうこう言う話なんかされなかったよ。逆に『ユウリをよろしく』とお願いされたくらいなんだから。」
本当のことだった。あまりにも連絡のつかないユウリの所在を確認するためにユウリの自宅へ電話をした時に、僕は「結婚を前提にお付き合いさせていただいている」と告げた。ユウリのお母さんは丁寧に挨拶を返してくれたんだ。すなわち親公認の関係。
ミカは不審そうな顔を僕からユウリへ移した。ユウリは何か言いたそうにしているが、何も言葉を発しない。
「どういうことなのユウリ? アタシちょっと話が見えなくなってきた。えんちゃんと付き合ってるってこと? それともフタマタかけてるってこと?」
「宝田、ユウリはフタマタなんてかけないよ。僕はユウリを信じてる。浮気なんて少しも疑わないよ」
僕の微笑みはユウリを通り過ぎた。何故こちらを見ないんだ。
「どうもおかしいと思ったんだよね。中学の頃のえんちゃんとユウリが話していたえんちゃんのイメージが重ならなくて。何よ、ただの痴話げんかだったってわけ」
「そうじゃない! そうじゃなくて…」
ユウリがちらりと僕を見て、またうつむいた。
…………そうだったのか。ようやく答えにたどり着いたよユウリ。
君は、僕を試したんだね。
好奇心に満ち溢れた様子のウエイトレスが注文した物を運んで来た。僕たちの話に聞き耳を立てていたようだが、同じようにそれに気づいたミカはウエイトレスが立ち去った後に口を開いた。
「もー、心配して損したわよ! 昨日死にそうな顔でアタシに相談してきたことも全部嘘だったわけね。ケータイが震えるたびに怯えたふりして」
ユウリがハッと顔を上げた。ここからでもはっきりわかる程顔が青ざめている。そんなに慌てなくたって僕は怒ったりしないのに。
「ミカちゃん… わ、私…… 違うよ、違う。…そうだ、これ!」
ユウリは慌てふためいた様子でガサガサと鞄をあさり携帯電話を取り出した。おぼつかない指先で何かを表示しミカに突き出した。
「これ!! 見て!」
「何よこれ…… ああ、メール?」
受け取ったミカが一瞬僕を見たことから考えるに、それは僕からのメールに違いなかった。なんだ、メールは届いていたんじゃないか。それなら何故一度も返事をくれなかったんだ?
「受信日時だけでいいから、見て」
「ユウリ、さすがに僕でもプライベートをさらけ出されるのはちょっと抵抗があるよ」
「メールの内容は見なくていいから! その回数を見て欲しいの! おかしいでしょ? 一日に何十件もメールしてくるなんて!!」
必死の形相のユウリに対してミカはいたって平常心だった。ふう、とひとつため息を落とすと向きを変え、まっすぐにユウリと向き合った。
「ユウリ。昨日のあなたは一度もメールを返信しなかったよね。アタシと一緒にいた数時間に何度も来てたよね? だけど、たったの一度も返さなかった。そうだよね?」
「………だけど、それは」
「あのねユウリ。えんちゃんに一回でも『もうメールしないで』とか『回数を減らして』って言ったことある?」
「…ない……」
ミカはユウリの手を両手で握り締め携帯を持たせ、続けた。
「今まで普通にやりとりしていた相手が突然返事をよこさなくなったら、ユウリならどう思うの?」
「それは心配になるけど、でもえんちゃんは」
「確かにメールの回数は少し多すぎるとは思うけど。でも恋人同士ならこれくらい心配してもおかしくないでしょう」
今度は僕のほうに向き直ったミカは深々と頭を下げてきた。
「えんちゃん、ごめんね。話は一方的に聞くもんじゃないってよくわかった」
「ミカ聞いて! 違うの!!」
「……ユウリ。いくらえんちゃんが優しいからって試すようなことするのは良くないと思う」
「ミカ……」
ユウリが。僕のユウリが泣きそうになっている。ユウリ、そうじゃないよ。僕が見たいのは泣き顔じゃない。
「宝田、どうも行き違いがあったみたいだ。何だか巻き込んでしまったようで悪かった。きっとユウリはマリッジブルーになてるんだと思う」
「マリッ……? え? やだ、えんちゃんとユウリって…… え? え? そうだったの?」
ミカは自分のことのように頬を赤らめ喜んでくれている。
ユウリは僕たちの結婚について話をしたのではなく、僕の愛情を試す片棒を担がせていたわけだ。だからこそ僕からのメールに返事を返すわけにはいかなかった。答えがわかればなんてことはない。ミカには悪いことをしちゃったな。
「ちょっとやだユウリったら何で黙ってたのよー!」
「え? ミカ何の話…?」
「しらばっくれちゃって! 結婚式いつなの? アタシ絶対出るから出産とかぶらない時期だと嬉しい!」
ミカの勢いに圧倒されてオロオロしているユウリが愛らしい。
すっかり安心したらしいミカはゴクゴクとウーロン茶を一気に煽る。ユウリはジュースに一口も手をつけていない。
「まだ直接ユウリのご両親に挨拶しに行ってないから、式までは話が出てないよ」
本当は式なんて二人だけで十分だから盛大に挙げなくてもいいのだけど、ユウリの意向も聞かなければね。何せ式の主役は花嫁さんなんだから。
僕はユウリがウェディングドレスを身に纏って笑ってくれさえすればそれだけでいい。
「式? え? ミカもえんちゃんも何の話してるの?」
「またまたぁ! もうわかっちゃったんだからね。ユウリ、おめでとう! えんちゃんと幸せにね!!」
「え…………?」
中学時代、口から生まれてきたと日頃から言われていたミカはここぞとばかりに結婚について語り始めた。話は半分程度耳に残しつつ僕はユウリをじっと見つめていた。相槌も打たず、氷が融けて薄くなってしまったオレンジジュースを凝視しているユウリを。


七時に仕事の終わる婚約者と待ち合わせているミカと店の前でお別れ。ミカはまたユウリの手を熱く握り締めている。
「それじゃまたね! ユウリ、えんちゃんは誠実だし優しいし、言うことなしだと思うよ。ちょっと干渉しすぎっぽいけどアタシは愛の証だと思うんだ。えんちゃん、ユウリをお願いね。絶対幸せにしてね!」
「宝田、月並みなセリフだけどさ。ユウリといることで、僕が幸せにしてもらっているんだよ」
僕の言葉を耳にしたユウリの顔を見たかったのに、ユウリはずっとうつむいたままだった。
「ミカ…… 私………」
「うん、うん。不安になるのもわかるよ。またメールしてね。アタシもう行かなきゃ。じゃ、またね二人とも!」
手を振りながらミカは人ごみに消えていった。僕とユウリだけが立ち止まったまま動かない。
「……ユウリ」
そっと肩に手を置いただけなのに、彼女はビクッと震えた。結婚という道の世界に対して知らず知らずのうちに不安を膨らませていたんだな。可哀相に。
「僕は怒ってないよ。ただ、すごく心配した。今度からメールはちゃんと返してね」
「………う」
「え?」
「違う、えんちゃん違うよ。メールだけじゃなくて。なんか距離がおかしいの! うまく言えないんだけど、近すぎるの!」
「どういうこと?」
ユウリが声を荒げている。何だ?
「ねえ、えんちゃん。私たちいつから結婚することになったの?」
まだ僕を試すのかい? いいよ、どこまでだって付き合ってあげる。
「ユウリは僕のことが好きだったって言ってくれた。まず、それは本当のことだよね」
「そっそうだけど、それは中学の頃の話で……」
「同窓会で僕に『いい人紹介して』って言ったよね」
「…………言った……」
「近所の川の側で、僕と付き合えばよかったって言ってくれた。嘘だったの?」
「…それは………」
「ねえ、ユウリ。僕じゃない。君が、他でもない君が僕に愛情を示してきたんだよ。違うかい?」
「わ……私………」
「いろいろなことが重なり合って人間関係って出来上がっていくものだよね。僕は愛情の続く先に結婚があると思っている。だから、二人が好きだと感じあっているのなら結婚も考慮に入れた付き合いをしていくべきだと思うんだ。じゃないと無責任だよね」
「無責任……」
「今日のユウリは少し疲れているみたいだね。晩御飯でも食べて、もう帰ろうか」
「……ちょっと、考えたい。一人で帰るね………」
返事も待たずにユウリはふらりと歩き出した。きっと、感情と理想と現実が彼女の中で入り乱れて混乱してしまったんだな。彼女は「一人で」帰ると言った。
僕はユウリを見失わないくらいの距離を保って、後からついていくことにした。今にも消えてしまいそうなユウリを抱きしめたかった。
最近のユウリはどうも不安定な気がする。今度は二人きりでゆっくり話をした方がいいな。彼女が迷っているのなら僕が手を引いてあげなければならない。
混乱しているなら仕方ない。しかし、もし間違ったことをしたなら………

僕は、ユウリにお仕置きをしよう。二度と間違わないように。
 

 


 

 

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